湧網線の廃線跡巡り


 網走から能取湖、サロマ湖、オホーツク海沿岸を通り中湧別まで至る路線で昭和62年3月20日に廃止。
 沿線の景色の良さは日本でも屈指の路線で、網走〜常呂間は現在ではサイクリングロードとなっており、自転車に乗りながらかつての景色を楽しむこともできます。
 路線が整備されてしまった分、残された駅などは限られており、私が訪問したときにはわずかしか面影を残すところはありませんでした。

(撮影日:知来駅と佐呂間駅は2001.8.12、他は2000.8.13)


(卯原内駅)

 「うばらない」と言います。蒸気機関車9600号機と客車が1両(オハ47?)、あとはホームと踏切等が残されていました。客車は簡易宿泊施設になっていて中は座敷です。
 その左側にあるのがサイクリングロードで、かつて線路のあったところ。ホームに合わせてちょっと曲がっているのが分かると思います。その左側には能取湖が広がっています。
(常呂バスターミナル)

 周辺の道路からして、常呂(ところ)駅跡地にできたバスターミナルのようです。船のような形をした屋根が特徴。
 2階には湧網線に関する資料室があるのですが、管理人断らないと中に入れないようです。

 ここから湧別方面はサロマ湖沿い。浜佐呂間駅を過ぎると内陸部に入ります。
(知来駅)

 駅舎はゲートボール場の控え室になっていました。ホームは残っていませんが、屋根の柱がレールで作られていて、かつて駅だったことを示しています。
(佐呂間駅)

 内陸部奥に入ったところにある大きな街で、駅舎は資料館、周囲は公園で、D51やDE10、スユニと車掌車が保存されていました。
 資料館を見るには、どなたかに連絡する必要があるようです。
(計呂地駅)

 佐呂間を離れると、路線は再びサロマ湖方面に向かって走るようになります。その後に湖岸沿いまで来たところにあるのがこの計呂地(けろち)駅。

 プラットホームに駅名標、機関車C58と客車が2両つながれています。かなり背の低い階段と通路も。


 (2001年訪問時は、C58の周辺に屋根が追加されていました。)
(計呂地にある客車)

 こちらも卯原内と同じように簡易宿泊施設になっていて、近くにシャワーや洗面用の水道設備もあります。
 2両ある客車は車号が不明。1両は座敷なのですが、もう1両は写真のように当時の座席がまだ残っていました。
(芭露駅)

 計呂地から先に進むと、次の駅は芭露(ばろう)駅。
 こちらは駅舎とホームが残っており、車両はないのですが旅行者が宿泊施設代わりに使っていました。
(芭露駅のホーム)

 こちらにはレールや当時の電柱、駅名標も残されており、周辺は当時のまま。
 ここからはサロマ湖は見えず、高い木に囲まれていました。
(中湧別駅)
 
 名寄本線との接続駅で、湧網線の終点。
 駅は鉄道資料館になっており、写真のモーターカーと車掌車が4両つながれています。

 (詳細は名寄本線の項目にて)
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