標津線の廃線跡巡り


 標津線は北海道の東部、根釧原野の開拓を使命に開通された路線で、昭和8年12月に開通し、全通は昭和12年10月30日。廃止は平成元年4月29日でした。
 根釧原野は日本でも有数の酪農地帯で、あたりはどこまでも広がる牧草地帯。その中を走る路線はいかにも北海道らしい雄大なものだったのでしょう。

(撮影日:2000.8.13)


標津線の停車駅です。写真のある駅はクリックするとその場所に行きます。


 

(厚床駅)

 標津線はY字のようになっていた路線で、釧網本線の標茶と根室本線の厚床(あっとこ)の2駅から中標津方面に向かう列車が出ていました。
 写真の手前の線路の隣が、標津線のあった跡。その向こうは根室本線の上り列車の線路です。



 
(奧行臼駅)

 なんと、地元の別海町の「指定文化財」として大切に保存されていました。
 この駅舎の反対側には駅逓舎も残されており、この辺りだけ時代が止まっているかのよう。
(奧行臼駅構内跡)

 上の写真の駅の裏手には線路とホーム、駅名標などが残されていました。駅舎には入ることができるのですが、この辺りによくある簡易宿泊施設というわけではないようです。



 
(別海駅付近に残る鉄橋)

 西別川にかかる鉄橋で、レールが外されてからフェンスで仕切られていましたが、手が加えられているのはその程度で、左側の鉄板が敷かれているところは歩くこともできます。
 この近くの道には「踏切あり」の道路標識も残されていました。
(別海町バスターミナル)

 駅跡は全く残されて居らず、ごらんのような大きなコミュニティセンターとバスターミナルになっていました。
 中には標津線関係の資料室などは無かったようです。
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