その3 (8月14日)

 今日回るところは、20年くらい前なら鉄道で行けたルート(^^;。(つまりは「廃線跡巡りがメイン」)
 網走を出て、オホーツク海沿いをしばらく走ります。

 まずは旧湧網線沿いに網走湖、能取湖、サロマ湖を走ります。道中は湖と道路に挟まれて細いサイクリングロードがあり、これが昔の線路。道路をくぐったり、またいだりしながらずっと伸びています。
 網走湖です。あまり知られていませんがけっこう広い。


 こうなると路線跡はすぐに分かるのですが、駅の跡は保存活動でもしない限り残りません。というわけで「交通公園」みたいな名前の所を探せばいろいろと残っているんですよね。 で、それを最初に見つけたのが卯原内(うばらない)でした。


 卯原内の駅跡には、ホームと9600号機、客車(オハ47?)が1両と、踏切が置いてありました。向こうに見えるのは能取湖。
 

 ほとんど単線のレール幅に近いサイクリングロード。
 網走から能取湖を回るようにしてあります。距離は40kmほど。
 さて、オホーツク海沿いには道の駅も少なくありません。
廃線跡探しと同時にスタンプラリーもしなきゃいけない(^^;。
で、途中にある[道の駅 サロマ湖]へ。ここは名前と裏腹にサロマ湖は見えないのですが、、、物産店になっていて土産物探しなどに便利。 ですが、私にとって「サロマ湖」と言えば、このホタテの醤油焼きがおいしい所って言うイメージがあるんですよね。


 この道中でサロマ湖を見たいと思ったら、湖岸の駐車場でもいいのですが、近くの山の上にあるサロマ湖展望台に行くのもいい。ただ車とはいえ未舗装道路で、かなりの勢いで坂を上らなければならないので移動が大変です。今日も晴れていたけど、そのぶん暑い。たった1,2枚の写真を手に入れるためにふうふう言いながら展望台まで上り詰めて、、、、、

 見たのが(撮ったのが)・・・・これ!


 実際はサロマ湖の全部、向こうの半島(砂嘴)まで全部見えているので、写真で見るよりも見応えありますよ。きっと。。。

 さて、湖は全部見たので廃線跡探しに戻りましょう。今度は計路地(けろち)です。ここも駅のホームと機関車、客車が残されているところ。ちなみにこのあたりの客車は簡易宿泊施設になっていて、夏の間はキャンプ感覚で泊まっていく人がいくらかいるようです。


 計路地に止まっているのはC58でした。2両の客車は形式は不明。1両は宿泊用に座敷になっていますが、もう1両は昔の床、座席のままでした。
 

 なぜか一緒に置いてあったのは小さなトロッコ。いったい何に使われていたんでしょうね。遊んでいたのは地元の子供でしょうか。


 [道の駅 愛ランド湧別]は遊園地。観覧車に乗りながらサロマ湖を見れればいい眺めなんでしょうけど、1人ではさすがに乗ることは出来ません(^^;。

 写真の駅舎跡は芭露(ばろう)です。ここでは駅舎とホームのみ。駅舎とその周辺ではバイクの人たちが泊まっていたらしく、線路でくつろいでいました。
 (湧網線の廃線跡巡りの写真はこちら


 次は中湧別です。ここには駅の跡も道の駅もあり、一石二鳥。。。また鉄道の方では湧網線と名寄本線の接続駅であり、小さいながらもターミナルになっていました。


 中湧別の駅跡は鉄道資料館になっていて、駅のホームと車掌車が4両。あと雪かき車が置いてありました。
 

 駅の方から見てみると、この道は、かつて湧別方面の支線だったところ。まっすぐの線路が、今ではすっかり普通の道路になっていました。


 ここからは名寄本線の廃線跡巡りになります。いちおうオホーツク海沿いなのですが、実際は道路も線路(跡)も海岸から遠く、水平線は見えません。廃線ばかり気を取られていると、反対側の海と道路の間にある湿地帯というか牧草地の広々とした景色が見られなくなります。。。


 海岸の公園にあるモニュメント。向こうの方に小さく見えているのが展望台。
 紋別市に入ると、結構大きな街。この中には[道の駅 オホーツク紋別]があって、ここで流氷に関するいろいろなものを見ることができます。網走などと同じように本物の流氷に触ることができる-17度の部屋もあります。流氷砕氷船や展望台があるのもこのあたり。


 廃線跡探しには古い地図を使っているのですが、この紋別あたりは道路や土地が整備されなおしているので、実際の道と地図が全然違っていたのに気づきませんでした。そのためこのあたりの駅跡は探すことができず。

 ここから先も名寄本線でも良かったのですが、さっちゃんさんからの提案で、渚滑線を回ってみることにしました(興部はいろいろあったのですが、2年前訪問しているのでパス)。途中は広い農地で駅があるかどうか不安だったのですが、先に行くに連れていろいろと駅舎などが見られて良かったです。道の駅も[おこっぺ]は行けなかったけど[香りの里たきのうえ]の方に寄ることができたので、スタンプもOK。
 (渚滑線の廃線跡の写真はこちら

 ここからは山間の短絡線を通って西興部に抜けます。その途中で「氷のトンネル」があるということなので、それにも寄ることにしました。
 山間部は狭い谷間のような所を通るのですが、あちこちで広い農地にあい、こういうひろい景色もやっぱり北海道らしい所なのかなぁと改めて思ったものです。(南空知あたりとまた違う雰囲気なんですけどね)
 で、山の奥の奧にあるはずの「氷のトンネル」なのですが、、、ここ最近の暑い日のせいですっかり解けてしまっており、全く跡形も残っていませんでした。

 「残念ながら・・・」とこの事情を書いてあった立て札があったのですが、それを出すんだったら、道の入り口に出して置いて欲しかったなぁ。。。 ここまで1本道を結構長い間走ってきたというのに。


 西興部、上興部あたりは人口の非常に少ない村。その割には建物が大きくて、立派なものがあちこちにあります。ここから再び廃線跡探しになるのですが、景色が単調なせいか探すのが大変。でも上興部駅は駅舎が資料館として残されており、かなりまめに手入れをしてあるらしく、きれいに整って残っていました。


 上興部の駅舎。中は名寄本線の資料がかなり多く残されており、自由に見ることができました。
  

 裏手にあるのはキハ27と雪かきのラッセルヘッド。このキハ27も簡易宿泊施設になっていました。


 ここから先は順調に廃線跡探しができたのですが、山の間の平地を走っていたのとあまり小さい集落の中の駅はもう残っていないんですね。 名寄までの道も意外に短くって、もうちょっとふらふらもできたのでしょうけど、今日は早めに宿に着こう、と移動を進めました。

 名寄でちょっとだけ寄り道して、ラストスパートで母子里へ。
 途中は深名線の廃線跡になるんでしょうが、道中はそれらしきものは全く見つけられませんでした。 名母トンネルを通る途中は、ごらんの高台を通り盆地がかなりいい景色で見えていました。



    網走−サロマ湖−紋別−滝上−上興部−名寄−母子里  311.7km


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