天北線の廃線跡巡り 1999

 JR天北線は北海道の北部、音威子府から浜頓別を通って稚内(南稚内)までの148.9kmの路線で、平成元年5月1日に廃止。
 私がここを訪れる前まではほんとに地の果てにあるような所というイメージだったのですが、この辺りの町ののどかさと、北海道らしい自然を目にしてからは本当にこの景色が好きになってしまいました。 写真は2回目に訪れたときのものです。
 この頃から「配線跡巡り」に興味を持つようになったのですが、なかなか行く時間や資金とかができなくて・・・・・・
 でもこの翌年、再び同じ所を訪問しています。その時の写真はこちら。

(撮影:1999.7.25)

天北線の停車駅です。 写真のある駅は、クリックするとその画面に行きます。


(上音威子府駅)

 音威子府から国道275号線を東に向かっていくと、峠の途中にこの駅舎があります。
 実際は道をそれた林の中にあるので、車のスピードを上げていると見損なうかも。


 翌年訪問したときの写真はこちら。
(上音威子府駅)

 正面(上の写真)の裏側の景色です。よーーーく見るとプラットホームも残っています。
 中は荒れていて、どなたかの農機がいくつか置いてありました。ただ事務所の棚などはまだあり「ここが駅だったのかなぁ」という雰囲気はわずかながらありました。
(上頓別駅)

 小頓別はバス停留所になっていて、駅舎らしきものは改築されていました。写真の上頓別は駅舎とホームが残されており、駅名標はごらんのように真っ赤にさび付いています。
 駅舎はいちおう簡易宿泊施設になっているようなのですが、座敷は汚れていてあまり使われてないようです。


 反対側の駅舎の写真はこちら。
(敏音知駅)

 駅舎はなく、「道の駅 ピンネシリ」の敷地の一角に写真のような碑と天北線の記述がある案内板、ホームの一部のような所があるのみでした。
(松音知駅)

 駅舎、ホーム、レールと腕木式信号が残されています。
 駅舎の窓は、それらしく色の塗られた木の板。ここも簡易宿泊施設として使われていたのですが、なぜかこのときは入り口がふさがれていました。
(松音知駅の駅名標)

 上の写真のホームにあった駅名標。実際に使われていたかどうかは不明です。
 綴りの合っていないローマ字に注目。
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