その5 (8月15日)

 今日はいままでと逆方向、南の方に向かいます。
 朝8時には出発し、きんさんたちはレンタカーを借りたため2台で移動。まずはとりあえずJR釧網本線の北浜駅に向かいました。


 この駅はオホーツク海に最も近い駅として知られ、駅は無人駅なのですが駅舎には喫茶店があります。待合室には訪問者の名刺や定期券などが所狭しと貼られており、この駅の人気の良さを象徴していました。


 今日もいい天気。ここから先しばらくはオホーツク海沿いを走ります。反対側は小清水原生花園という湿地帯のような所で、遠くには斜里岳も見えるいい景色の所でした。
 (本当は帰りにここに寄って撮影などをしたかったのですが、帰りが遅れてしまったためにできませんでした(^^;。。)


 まず最初の目標を標津方面に置いていたため、手っとり早く根北峠を越えることにします。この辺りは根北線という鉄道の未成線があったところで、はじめのうちはそれの跡を気にしながら走っていました。
 左の写真は根北線の数少ない跡で、近くの沢と道路を越えるために作られたコンクリート橋の一部。

 それにしても、北海道の峠というのは勾配や急曲線がそこそこあるものの本州のそれに比べれば比較的きつくないんですね。


 標津は東側を海に面しており、天気が良ければ国後島を間近にみることができるところ。去年も訪れたのですがぽろぽろと見落とした場所も多く、まずはその1つであるサーモンパークのサーモン科学館に行きます。


 これがサーモン科学館。北海道は鮭がとれるところが多いのですが、そのなかでもこの標津あたりは標津側を中心の多くの鮭がとれることで有名です。

   

 中には鮭や鱒を中心の近くの川や海で捕ってきた魚を大きな水槽に入れて展示してあります。中には国内最大の淡水魚である「イトウ」の姿も。


 この辺りには鮭やイトウなどの稚魚を飼育する施設も併設されており、屋外や室内でも日の当たる水槽などでその姿を見ることができます。この科学館、入り口が狭そうなのですが実際は奥が深く、北海道の魚をみるのにはとてもいいところでした。

 科学館には展望台もあり、ここから周辺と海の方まで見渡すことができます。こちらは陸側、川のある方なのですが、周囲に山がないので、遠くまで見渡すことができました。


 ここでは鮭料理もいただいて、つぎに東の海(オホーツク海ではなく根室海峡)に突き出ている野付半島に向かいます。この半島は日本でも最大級の砂嘴で弧を描くようにできており、内側は湿地帯に独特の景色を見せているところ。


 とにかく周辺は真っ平らで広い平面が広がっていました。
 半島の幅は狭く、一本道をずっと奥に行ったところに休憩所があり、その付近に碑があります。
   

 この辺りはかつて林などが生い茂っていた時期もあったのですが、近くの変化と海水の侵入により枯れ果てて寂しい姿をあらわにしているところがあります。 この写真の場所はトドワラと呼ばれ、かつてトドマツ林があったところですが、現在はごらんの通り。


 トドワラへは半島の奥にある休憩所から歩いていったので、移動に時間を費やしてしまったのですが、周囲が平面ばかりで広々としている景色はこの辺り独特のもの。異次元の世界に来たような感すらあり、何もないとは言えめったに見られない景色に言葉を失うばかりでした。

 ここからは標津に戻り、JR標津線の廃線跡を探す、と言うことでそれに付いていきました。
 なにしろこの辺り(根釧台地というのですが)、背の高い山がなく丘のような所に牧草地、ほんの少しだけ立っている木や林という景色は数ある北海道らしい所の中でもσ(^^;の一番のお気に入りの所だったので。


 まずは標津市街地の中にある根室標津駅へ。この辺りは去年訪問したときもすでに駅舎などはなかったのですが、今回訪問したときにはその跡地に花畑が新たに作られていました。
 かつての鉄道駅があったことを示しているのは遠くに見える、山積みされたレールのみです。


 川北駅にはごらんの気動車が去年と同じ姿のまま残されていました。 標津線の沿線はいまでも土地開発の進んでいるところがあるのですが、もともとの人口が少ないだけに、駅前周辺のみをきれいに整備し直して建物を新しくしているところが多く、廃線跡が少なくなりつつあります。
 道路が舗装されたり、鉄橋が新しくなったりと、北海道の奥果てのような所でも時代は確実に進歩していることを感じさせられました。


 この時点ですでに時間がなかったために無理に長居することなく、見つからなかったところはパスしながら進んでいったのですが、集落は開発が進んでいても道中の牧草地は手つかずのまま。地平線も見えるんじゃないか?というくらいの広さを感じられるのはなかなかいいところでした。

 この沿線で手がつけられていないところは、↑の川北と、この後に訪問した奥行臼くらいだったでしょうか。


 これは駅逓所という、鉄道が開通される以前に馬や通行人などを休憩させたり、流通などの拠点となっていたところ。近くには標津線の奥行臼駅跡もそのまま残されていました。
   

 その奥には地元の軌道線の車両と駅舎、車庫なども残されて、展示されていました。これらは地元の別海町で重要文化財に指定されて、大切の保存されているようです。


 この時点で、すでに夕方の5時。
 ここできんさんと問寒別さんと別れ、網走に戻ります。

 周囲は薄曇りのせいもあって、すでに暗くなりかけていました。カーナビで最短距離を叩き出してもらい、急いで帰ることにしたのですが、夕暮れのこの辺りはいままでに見たことはなく、本当は走りすぎていくのが惜しかったくらい。
 
 帰り道はいままで通った道とは違い、弟子屈と藻琴峠を越えるルート。不思議と、σ(--;はこの辺りを何度も通っているのに摩周湖や屈斜路湖に立ち寄ったことはなく、今回もそれに当てはまってしまいました。
 おまけに峠越えでは10m先も見えないくらいの霧にあってしまい、のろのろと進んでいたのですが頂上を越えたとたんに一気に晴れてしまった、という不思議な光景も目にしました。

 結局網走に着いたのは夜の7時半頃。道中はいろいろなところでお祭りや盆踊りなどが催されていたのですが、それには参加できずにすぐに休んでしまいそうです。


      網走−標津−野付半島−中標津−奥行臼−(弟子屈町)−網走  376.9km

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